暮らしも学びもつながりも。すべてが詰まったジャム作り
五十嵐 洋子(いがらし ようこ)さん
まるでヨーロッパのような、 ゆったりとした暮らし 義理のご両親の健康をサポートするため、野木町に移住した五十嵐さん。父親の仕事の関係で、子どもの頃から国内外さまざまな土地で生活してきたため、野木町は実に11ヶ所目の住まいだった。アメリカやスイスで暮らした経験もあるという五十嵐さんにとって、野木町はどのようなまちなのだろうか。 「東京からほんの1時間ちょっとですが、ストレスフリーでのびのびと暮らせています。まるでヨーロッパのようなゆったりとした暮らしが送れるので、移住した当初はとても驚きましたね」 自然に囲まれ、交通量も多くないので、空気が美味しい。20時には静かな世界が広がり、睡眠がよく取れる。 春はキジ、夏はカエルの鳴き声が心地よく、冬は窓を空けると目の前にオリオン座がきらめく。自然から直接四季を感じられるようになった。 「最初はキジの鳴き声が何の鳴き声か分からなくて。でも、ある日散歩していたら林から出てきて鳴いているキジに出会ったんです...!この辺りは野生のキジがよくいるんだよ、と地元の方が教えてくれました」 自然豊かなまちではあるが、利便性にも優れている。野木町は栃木県最南端に位置するため、東京へのアクセスがいい。交通網が整備され、渋滞もないため、県内各地へも気軽に遊びに行ける。 「日光へも車で1時間半ほどの距離ですよ。栃木県はエリアごとに多彩な地域性があるので、週末にいろいろな場所に出かけるのが楽しみになっています。野木町は県内外問わずアクセスしやすいので、田舎のよさと利便性のバランスが取れたまちだと思います」 野木町での暮らしに導かれ、 30代半ばで美大へ アートに興味があった五十嵐さんは、野木町への移住前に住んでいた東京で、アートマネジメント(芸術と社会をつなぐための取り組み)に携わっていた。移住後も、アートに関わりを持ちたい、と東京の豊島区にあるNPOで非常勤スタッフとして働き始めた。 「東京にアクセスしやすい野木町だからこそ、選択肢があり、通い続けることができました」 NPOで働くうちに、自分でも創作活動を始めたいという想いが強くなっていった。 野木町には豊かな自然がある。それを吸収して発信できる人になれたら、どんなに面白いことか―。 「NPOではアーティストと社会をつなぐコーディネーターの仕事をしていたのですが、自分自身が野木町で創作活動をするためには、コーディネーターだけでは知識やスキルが足りないと感じました」 そこで五十嵐さんは、働きながら学ぶことのできる通信教育部のある美術大学に進学することを決意する。30代半ばでの大きな決断だった。 「年齢的にまだ体力もあるし、40歳までに卒業できるように頑張ろうと思って入学を決意しました。熱意のある方と友だちになれたり、自分の得意分野に気づけたり、進学して本当によかったです」 大学では空間演出デザインを学んだ。空間と一口にいっても、建物やショーウインドーだけではない。「地域」も空間のひとつである。五十嵐さんは「地域という空間」のデザインに特に興味を持ち、学びを深めていった。 「地域の方にとっては当たり前のことや見過ごしていることを、デザインを通じて見せ方を変えることで、その魅力に気づかせる。そんな活動をしていきたいと考えるようになりました」 大学で学びを得た五十嵐さんは、いよいよ野木町での創作活動を始めることになる。 地元食材を活かした スープ作りとジャム作り 美大を卒業して、まず始めたのが野菜を育ててスープを作る「スープ活動」だ。野木町は野菜が新鮮で美味しい。さらに、五十嵐さんは食べることが好きで、自分の料理を人に楽しんでもらうことも好きだった。野木町のとびきり美味しい野菜と自ら栽培したハーブや西洋野菜を活かして、家庭ではなかなか作れないような世界各国のスープを作り、ゆったりとランチタイムを楽しんでもらう。そうして野木町の魅力を発信し、伝えられたらと考えた。 「スープ作りのこだわりは、野菜そのものの美味しさを引き立てるように調理することです。野木町の野菜は素材自体が美味しいので、調味料をたくさん加える必要がないのです。スープ活動では、幼少期を過ごしたヨーロッパで食べたような『自分がときめく料理』を作りたい、提供したい、と考えています」 本格的な洋食や多国籍料理など、野木町では普段食べられない絶品スープ。「美味しい!」「ほかでは食べられないものが楽しめる!」と、知り合いからその知り合いへと口コミが着実に広がっていった。 旬には野菜がたくさん収穫できる。ただし、長期保存ができないことが多い。それは果物も同様だ。少しキズが付いていたり、形がいびつだったりするだけで市場に出回らなかったり、廃棄されてしまうこともある。 保存食を始めたい、五十嵐さんがそう思ったのは自然な流れだった。当時はコロナ禍で、何かワクワクできることを始めたいという想いもあった。玉ねぎや赤ねぎのスープペースト(スープの素)にはじまり、ジャム作りへ。五十嵐さんの活動がさらなる広がりを見せるきっかけとなる、ジャム作りが本格的に始まるのであった。 ジャム作りを通して 想いがつながる、広がる 自宅のキッチンをリフォームし、いざジャムの試作へ。だが、一人でジャム作りをすることの難しさ、限界を痛感した。そんな時、ジャム作りが得意なご近所さんに手伝っていただけることに。さらに、その方からイチゴやプラム、梨などさまざまな果物を栽培する農家さんを紹介していただいた。 「美味しい果物を作るために、農家さんは毎日たくさん摘果するんですね。味は本当に美味しいのですが、もらい手がいないと廃棄されることもあるそうです。あまりにもったいないので分けていただけるようにお願いしたところ、安く譲っていただけることになりました。『無駄になるものがなくなってよかった』と、農家さんにも喜んでいただけたので嬉しかったです」 イチゴ、キウイ、プラム、ブルーベリー、梨……。多くの方とのご縁がつながって、一年を通じて野木町の旬を味わえるジャムを作れるようになった。つながりは、農家さんだけでなく、販売する方へも広がり始めた。 「こだわりの食材を扱う栃木市のお店の方が、ジャムをお店に置きたいと言ってくださって。そのお店で入荷するレモンを栽培している農家さんからも、『うちのレモンでジャムを作ってほしい』とオファーをいただきました。野木町の魅力を発信したいという想いに賛同してくださった皆さんのご協力を得て、私は活動できています。スープ活動とジャム作りが、今、本当に楽しいです」 手作りのジャムは、「61+(スワソンテアン)」の名義で販売している。スワソンテアン(Soixante et un)は、フランス語で「61」。五十嵐さんの名前に含まれる「50」に、これまで住んだ土地の数「11」を足したものだ。そこからさらに何かが生まれることを願って、「61」に「+」をつけている。 このジャムは、2022年に野木町ならではの魅力が詰まった「野木ブランド」に認定され、同時期に野木町のふるさと納税の返礼品にも選ばれた。 「地元の方にも『すごいね』とたくさん声をかけていただき、嬉しかったです。認めていただくことが、いいものをきちんと作り続けようという励みになっています」 野木町の人の親切で温かい応援に支えられ、五十嵐さんの活動はじんわりと、着実に広がっている。 野木町の魅力を よりたくさんの方へ届けたい ジャム作りを始めて3年が経過した。嬉しいことに、ジャムを楽しみに待ってくれているリピーターの方もできた。 「より多くの方に知っていただいて、私のジャムが野木町のブランド力の一端を担えるようになっていけたらいいなと思っています。スープ活動も続けていきますよ。野菜を育てて美味しい料理にすることの楽しさ、そして、野木町の魅力を最大限に伝えていきたいです」 最後に、五十嵐さんが考える野木町の魅力とは。 「野木町には、本当に穏やかで親切な方が多いです。皆さんのおかげで、活動を続けてこられました。温かい方々に囲まれて、ゆったりとした暮らしを送っています。移住して本当によかったです」 野木町で過ごす時間は、近場で小旅行気分が味わえる、と東京の友人にも大好評だそうだ。友人やそのご家族にも、野木町のファンが増えてきている。 「これまで東京で暮らす期間が長かったのですが、思い返せば今のような暮らしに前から憧れがあったのだと思います。東京で暮らしていた時、田舎で素敵な暮らしを送る方の本を時々読んでいたことを、ふと思い出しました。野木町で、自分がかつて憧れていたライフスタイルを実現できています」 東京のような都会的な娯楽は、野木町にはない。ただ、豊かな自然がある野木町では、暮らしを彩る楽しみを創り出すことはできる。五十嵐さんがそうだったように、一歩踏み出せば、支えてくれる人たちもいる。 さまざまな土地での暮らし、みずから得てきた学び、温かい人とのつながり―。これまでに積み重ねたものすべてを力に、自分にしかできないカタチで、五十嵐さんはこれからも野木町での暮らしを紡いでいく。