自分を救ってくれた「心のふるさと」をたくさんの人に届けたい
吉田 夏希(よしだ なつき)さん
苦しい状況の先に見つけた 地方移住という選択肢 コロナ禍という厳しい時期に就職した吉田さん。横浜市の実家から都内に通勤し、化粧品研究開発の仕事に携わっていたが、会社の業績悪化により転職を余儀なくされた。神奈川県内の化粧品研究開発会社に転職したものの、そこでも厳しい現実が待っていた。 「とても忙しい会社で、朝早くから終電近くまで働く毎日でした。所属するグループ内で休職者が出たり、私自身も周りからの当たりが強くなるのを感じたりして、心がすり減っていくようでした。泣きながら仕事することもあって…。不登校になったことはありませんでしたが、会社に行けなくなる日もありました」 そう語る吉田さん。これらの経験から、組織に対する恐怖感を抱くようになっていった。 「このままの状況が続けば、自分を失ってしまいそうで怖かったです」 人生を変えるきっかけは、友人の何気ない一言だった。 「近くにいた友人が『田舎で野菜でも始めようかな』と言っていて。それを聞いた瞬間、『あ、それだ!』と思いました」 もともと旅行が好きで、自然に親しむことが好きだった吉田さん。現状を一新するのにぴったりだと考え、地方への移住を検討し始めた。 移住相談をするため、移住・交流推進機構が運営する移住・交流情報ガーデンへ。移住をしたい、でも会社勤めは怖い…。そんな思いを正直に伝えたところ、紹介されたのが地域おこし協力隊だ。自分でもインターネットで情報を集め、栃木県・静岡県・高知県に候補地を絞った。日本全国の移住相談窓口を抱えるふるさと回帰支援センターでさらに詳しい話を聞き、実際に栃木県那珂川町と静岡県島田市を訪問した。 「那珂川町の、自然が豊かでゆったりとした時間が流れているところに魅力を感じました。初対面の方も、とても温かく包み込んでくれるような雰囲気で…。ゆっくりゆっくりと商店街を車で走るおじいちゃんを見てほっこりしつつ、車の運転が得意ではない自分でも暮らしていけそうだと思えました」 那珂川町の協力隊の募集要項を見て、生活面でも安心できる内容だったことも決め手となった。さらに、幼い頃から大好きだった絵本作家・いわむらかずお先生の美術館があることも、縁を感じる理由のひとつとなった。 「島田市も魅力的でしたが、私が求めていたのは那珂川町のような田舎だと、実際に訪問して気づいたのです。人の優しさ、温かさ、そして思い出の絵本とのつながり…。これらすべてが決め手となり、那珂川町に移住しようと決めました」 心身ともに元気になれた「人間らしい生活」 都会の喧騒から離れ、自然に囲まれた那珂川町での新たな日々が始まった。朝起きれば鳥のさえずりが聞こえ、川の横を歩けばせせらぎが耳に届く。 「景色の移り変わりが肌で感じられて、常に自然と一体になっているような感覚です。ずっと旅行をしているような、毎日が新鮮で特別な時間です」 地域の人々との交流も、吉田さんの生活に彩りを添えている。 「ご高齢の方が多くて、まるで孫のように可愛がってくれます。お米ができたからと呼ばれて行くと、次々とおかずが出てきて…。ドラマのワンシーンのような光景が現実になって驚きました。人とすれ違えば必ず挨拶を交わしますし、本当に人の温かさを感じるまちです」 地元の野菜や温泉も、暮らしを豊かにしてくれる魅力のひとつだ。 「野菜が驚くほど新鮮で美味しくて。温泉は500円程度で入れます。日常的に温泉を楽しめるなんて贅沢ですよね。興味を持って、昨年、温泉ソムリエの資格も取得しました」 那珂川町の馬頭温泉郷は「美人の湯」として知られ、温泉から見える美しい夕日から「夕焼け温泉郷」の愛称も持つ。 都会的な横浜市からの移住ということもあり、不便さを心配していた吉田さんだが、そんな不安は杞憂に終わった。 「確かに那珂川町に大型ショッピングモールはありませんが、宇都宮駅周辺や那須のアウトレットにも1時間程度で行けます。むしろ今は、消費に縛られない自由な生活ができるようになりました。『ないものは作る』という地元の方の考え方にも刺激を受けています」 自然とともに生きて、旬の味覚を楽しみ、人とつながる。那珂川町での暮らしは、吉田さんが求めていた「人間らしい生活」そのものだった。 「移住前は精神的に辛い状況でしたが、移住当時を知る周りの人からも『元気になったね』と言われます」 2023年4月の移住から約1年半。移住前、苦しい状況の中で自分を見失いそうだった吉田さんの表情は、今、生き生きと輝いている。 気づけば、自然とやるべきことが明確に 吉田さんの地域おこし協力隊としての主な活動は、那珂川町観光協会のサポートだ。物販に同行したり、ツアーに参加したりしながら、那珂川町の魅力を発信している。 「言いづらいのですが…『まちおこしに取り組みたい!』と思って協力隊を志望したわけではなかったので、はじめは何をすればいいのだろう、特別なスキルのない自分に何ができるのだろうと悩みました。でも、観光協会から指示をいただいた内容に取り組んだり、まちの方と触れ合ったりするうちに、那珂川町の良さを伝えたいという気持ちが芽生えてきました」 関東随一の清流・那珂川と緑あふれる里山、四季の恵みがもたらす豊かな食、日常に溶け込む温泉、多数の美術館や史跡…。移住してきたからこそ、そして、協力隊として活動しているからこそ分かる那珂川町の魅力がたくさんある。そんな良さをまちの中からじんわりと広げていきたいと吉田さんは考えている。 昨年には温泉ソムリエの資格を取得し、温泉を通じてまちの魅力を伝える活動を始めた。また、味噌づくり教室など、まちの人と外の人をつなぐイベントも企画している。 「地域柄、謙虚な方が多いのか、『那珂川町のいいところはそんなにないよね』という方が多いんです。まずは地元の方に那珂川町の良さを知ってもらい、そこから口コミで広がればいいなと思っています」 そう語る吉田さんは、那珂川町の「人の良さ」をアピールすることに力を入れている。 「私が一番アピールしたいのは『人の良さ』。那珂川町を知ってもらって、好きになってもらって、訪れた人にとって、どこかほっとできる『心のふるさと』になってほしいですね」 協力隊の活動を通じて、地元の人々との深いつながりも生まれた。 「日常的にメールをくれたり、ランチに誘ってくれたり。何か活動を始めるとなったら、アドバイスをくれたり。本当の孫のように可愛がってもらっています。そんな皆さんと関わるうちに、このまちのために何かしたいという気持ちが強くなってきました」 自分は何がしたいのだろう。自分に一体何ができるのだろう。 自分の進むべき道が見えずにいた吉田さんだったが、協力隊として那珂川町に入り、まちの方の温かさに触れるうちに、徐々に自分の役割が見えてきた。 那珂川町の観光や地域活性化に貢献しながら、吉田さん自身も成長を続けている。 いろんな生き方があっていいのだと示したい 地域おこし協力隊として活動する中で、吉田さんの今後の活動目標が明確になってきた。 「都会から移住してきた自分だからこそ分かる那珂川町の良さがあると思っています。私ならではの視点やアプローチで、那珂川町をPRしていきたいです」 そう語る吉田さんには、強い決意が感じられた。 「泣きながら仕事をするほど気持ちが落ち込んでいる状態で那珂川町に移住してきて、しかも、積極的にまちおこしに取り組みたいと思って地域おこし協力隊になったわけでもありません。でも、今こうして、今後の目標を自ら立てて前向きに取り組めるほどに成長できました。まちの方々との触れ合いを通じて、まちおこしにも情熱を感じるようになりました」 吉田さんは、協力隊の任期終了後も、那珂川町に残ることを決めている。起業も視野に入れているそうだ。 「那珂川町で培った人とのつながりを活かして、都会で働く方が癒しを感じられるようなツアーを企画したいと考えています。まちの方の温かさに触れて、那珂川町を『心のふるさと』として感じてもらえるような、そんなツアーです」 この構想を地元の人に話すと、「いいね」「協力するよ」と言ってもらえるそうだ。 そう、いつだって温かく支えてくれる人がいる。 自分には特別なスキルがない…。自分にできることはあるのか…。移住当初、そう悩んでいた吉田さんが起業を目指すようになったのは、大きな気持ちの変化だった。 起業する周囲の協力隊や自営業のまちの方と接するうちに、自然と起業に対する考え方が変わっていったという。 「私のように、まちおこしが入口でなくても、苦しい状況からスタートしても、協力隊として活動しているうちに目標を見つけることもあります。そういった生き方があってもいいのだと思います。そんな道筋を示すことで、私と同じように悩んでいる人たちの選択肢が広がるとうれしいです」 吉田さんの言葉には、那珂川町への愛と、今後への期待で満ち溢れていた。 これからの活動が、さらに那珂川町を、そして吉田さん自身を輝かせていくことだろう。