美容×福祉の可能性を私らしく追求したい
大坪 亜紀子(おおつぼ あきこ)さん
美容室ではなく美容屋 2022年3月末。地域おこし協力隊を卒業するタイミングで、下野市内にお店をオープンさせた。 オーナー兼スタイリストとして一人でお店を切り盛りする大坪さんは、『美容屋youi』という店名に自身の想いを込めた。 「ごはん屋さんが、イタリアンや定食屋などいろんなジャンルがあるように、美容室にもいろんなジャンルがあっていいんじゃない、って思ったんです。美容師として”髪をセットする場をつくること”で完結するイメージがなかったので、あえて美容室ではなく、美容屋と名付けました。youi は”You”&”I”、あなたと私。意味よりも言いやすさを重視しました」 高齢者でも覚えやすく、馴染みやすい店名にしたかったという。非常に悩んだという店名は、協力隊として活動を支えてくれた多くの人たちにも相談しながら決めた。 店舗探しについても、いくつか条件を持って見つけた。 「車椅子の方でも来店しやすいように、1階であること、介護車両でも乗り付けられることは絶対条件でした。空きテナントだけでなく、事業継承の観点から市内の空いていそうな美容室などにもアプローチしましたね。3〜4ヶ月かけて市内を探しまわり、最終的にこちらの物件に決めました」 そう語る大坪さんだが、もともと福祉に興味があった訳でも、介護の経験があった訳でもない。 美容師から未知の分野へのチャレンジ 地元、北海道の高校を卒業して東京の美容専門学校へ。それからは美容師一筋で歩んできた。 「年を重ねるごとに自分の美容師としての目標を達成していき、30代半ばには”もう東京にいる必要はないな”と思うようになりました。むしろ東京以外の場所で、美容以外の知識を身につけたいなって。でも美容師しかやってこなかった自分に、異業種での就職は難しいだろう・・・とモヤモヤしていた時に、地域おこし協力隊という働き方を知り“これだっ!”と思いました」 東京からの距離感や、活動内容を考えた際に興味を持ったのが下野市だった。 実際に現地を訪れ、市役所の担当者とも話をし、応募を決意。2019年4月、大坪さんは下野市地域おこし協力隊として、この地で新たなチャレンジをすることになった。 活動のミッションは、市内の観光資源を連携させた周遊型観光の企画やS N Sを活用したプロモーションなど。市内の観光地のひとつである天平の丘公園に拠点を置きながら、イベントやツアーの企画運営、市内の情報ポータルサイトを制作するなど、さまざまな活動に取り組んだ。 「着任当初、天平の丘公園では毎週のようにイベントが開催されていて、主催者や出店者との繋がりは、その後の協力隊活動にもさまざまな場面で活かすことができました。公園内にはカフェや、ゆっくりくつろげるスペースもあります。スタッフメンバーとは今でも仲良くしていて、休日にはたまに遊びに行きますよ。」 この時に関わりのあった方の多くが、今はお客さまとして大坪さんのお店に足を運んでくれているという。 また、登山が趣味という大坪さんにとって、栃木県に住むことで山が身近になったことも嬉しいという。下野市で出会った山仲間とともに、休日には北関東の山へ行くこともしばしば。 「ゆかりのない土地であっても、多くのお客さまや仲間に支えられているのは、協力隊としてのつながりがあったからこそ。美容の世界にいたら知り得なかったこと、出会えなかった人たちがここにはいます。それだけでも協力隊になってよかったし、下野市に来てよかった、と思えますね」 これまで縁のなかった福祉の世界へ 天平の丘公園でのイベントでは、大坪さんが『美容屋youi』を立ち上げるきっかけとなる出会いもあった。 下野市内で介護付有料老人ホーム『新(あらた)』の施設長をしていた横木淳平さんだ(現((株)STAY GOLD company代表取締役)。施設内にあるカフェがイベントに出店する際、横木さんも出店者として参加していた。 話をする中で「入居しているおばあちゃんの髪を切ってもらえないかな?」と相談された。退院が決まった100歳のおばあちゃんに、何かプレゼントがしたい。おめかしが好きな方なので“髪を切ること”をプレゼントにできればと思いついたとのことだった。粋な相談に、大坪さんは快諾。 後日、施設で髪を切るとおばあちゃんに大変喜ばれ、それ以降、定期的にカットの依頼を受けるように。当初は大坪さん自身も介護美容の経験を積むためにボランティアで髪を切っていたが、そのお礼にとランチをご馳走してもらいお喋りを楽しんだ。 ふと、「お客さまとこういう関係づくりってできるんだ」と気づいた。 「東京で美容師をしていた頃は、忙しいこともあってお客さまと個人的な関係づくりってしてこなかったなぁって。それが下野市では自然にできていて。地域で美容師をすると、こういう良い部分もあるんですよね」 その後、大坪さんの腕の良さは口コミで広がり、次から次に「私の髪も切ってほしい」という依頼が来るように。 そうした活動を、“give to”と”gift”を掛け合わせた造語で、大切な人へ“髪を切ること”をプレゼントしてほしいという想いから『giveto(ギブト)』と名付けた。 施設内には髪を切るためのスペースも作られ、入居者専用の美容ルームとして利用されている。 「協力隊1年目の終盤から、プライベートでgivetoの活動をスタートさせました。徐々に形となっていったことで、2年目の後半には“やはり私は美容の道を進んで行く”と決意したんです。そこから、協力隊×美容×福祉を掛け合わせた活動をするようになりました」 下野市社会福祉協議会と連携し、高齢者の見守り活動や美容講座なども活動の一環として関わるようになった。 「これまでとは違う、新しい形での美容の道が、少しずつ切り開かれて行く手応えを感じていました」 新しい訪問美容の形を、下野市から広げていく 協力隊として3年目、givetoが形になりつつある中で、卒業後の自分の進路についても強く意識するようになった。 当初は、givetoの活動を継続する形で月の半分は下野市、残り半分は東京の美容室で働こうと考えていた。 「でも、地域に求められるサービスを提供して行こうと思いながら、しっかり地域に根ざさないのはやっぱり違うな、と思って。その時ふと、“自分のお店を持とうかな”と思うようになったんです」 東京にいた頃は、自分の店を持つことの大変さを知っていたので、全くその気はなかった。しかし、下野市であればそれができるのでは、と感じた。 それからは市内を巡って物件探し。やっとの思いで出会ったのが現在お店となっている物件だ。 「内装については、車椅子の方でも入店できるか、車椅子でも店内を余裕をもって移動できるか、高齢者の方でもゆったり座って寛げるソファか、お手洗いは介添の方がいても利用しやすいか、など、実際に横木さんに車椅子を持ってきてもらい、相談しながらレイアウトを決めました」 ただ、バリアフリーを全面には出しすぎず、来店する誰もが心地よい空間をつくれるかも大切にした。 「最初はお子さんが髪を切りに来て、そのあとはママ、それからおばあちゃんといった流れもあるんです。どなたにでも気軽に利用いただくことで、まだこういうお店があることを知らない人たちにも知ってもらえる機会は増えると思います」 大坪さんの目指すところは、「“美容室”と“既存の訪問美容”の中間」だという。 「訪問美容は福祉サービスの一環として既に存在していますが、施術スピードであったり、シャンプーしやすい髪型か、などが優先される部分があるので、髪型を楽しみたい方にとっては満足できていないのではないかと思うんですよね。年齢関係なく、女性は美容への意識があります。いつまでもキレイでいたい、という高齢者の方に、私を知ってもらえたら嬉しいですね」 訪問美容の認知度は高まってきてはいるが、まだまだ提供者は少なく、選べるほどのサービスが充実していないのが現状だという。 「訪問しただけで感謝されることが多いです。でも本来は訪問したことではなく、仕上がりに満足したことで初めて感謝されるものなんですよね。現状、“福祉的なサービス”というイメージを持つ訪問美容ですが、いくつになってもおしゃれを諦めなくて良いんだ、と思えるサービスにしていきたいです」 そして、その先に目指すものは− 「できればお店に来ていただきたいんです。こういう空間で髪を切ることで特別な気分を味わえますし、そうするとおしゃれ魂に火が付くんですよ。最初は鏡も見なかったお客さまの背筋が、だんだん伸びてきて。美容が皆さんの心の健康に繋がれば、と願いながら、これからも髪を切っていきます」