interview

小山市

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大人も子どもも“やりたいこと”が広がる暮らし

大人も子どもも“やりたいこと”が広がる暮らし

冨永美和さん

Iターンで、小山市にマイホームを 山形生まれの山形育ち、就職も地元企業。同じく山形県出身のご主人と結婚したが、ご主人の勤め先が栃木県内の企業だったこともあり、結婚を機に山形を離れ、栃木県下野市へ。冨永さんが勤めていた会社は都内にもオフィスがあったため、そちらに転勤し、下野市から都内のオフィスへ通勤していた。 ご主人の転職に伴い、一度は茨城県古河市へ。その後、子どもが生まれたことで「家を建てたい」という想いが強くなった。 「山形に戻ることも考えましたが、今後のライフプランを考えた時に、関東にとどまることにしました。栃木県、茨城県、埼玉県で土地を探す中で、自分たちの理想にぴったりの場所を小山市に見つけ、念願のマイホームを建てることにしました。」 第二子出産とほぼ同じタイミングに家が完成し、家族4人での小山市暮らしがスタート。 「駅からそれほど離れていませんが、静かな土地で、周りには子どもの同級生も多いので、安心して子育てできます。日常生活に必要なものは15分圏内で全て揃うので、暮らしの利便性はとても良いですよ。」 また、一戸建てに住んで良かった、と今になって強く思うことがある。それは、子どもたちがとても元気なこと。 「息子たちの今のブームは“戦いごっこ”。喧嘩ではないのですが、何をしていてもすぐに戦いごっこが始まり、毎日大騒ぎです。アパートやマンションに住んでいたら、常にご近所さんのことを気にしていたでしょうね・・・(苦笑)」 子どもに色々なことを経験させてあげられる環境 住まいには庭もあるので、2021年春からは家庭菜園をはじめた。 「ナス、トマト、とうもろこし、ブロッコリーを植えました。子どもたちも野菜が育つ過程や収穫を楽しんでいます。ただ、とうもろこしだけは収穫直前に鳥に食べられてしまいました。植えれば採れるというものではないこと、どうすれば無事に収穫できるか、など、失敗から学べることもありました。」 そして今年の夏は初めてカブトムシを飼うという経験もした。 「子どもたちは昆虫が大好き。毎日餌やりなど世話をしていました。生き物なので、お別れもありますが、生き物を育てることの難しさや楽しさを学んでくれたと思います。」 そして、これからは「アウトドア」にも挑戦してみたいという。 少し前からご主人の趣味が登山やキャンプになり、休日はアウトドアを楽しんでいる。 「せっかく身近にこれだけの自然環境があるのだから、そろそろ子どもたちもアウトドアデビューさせたいと話しています。」 県内には小さなお子さん連れでも登りやすい低い山から、本格的に登山を楽しめる山まである。川遊びやキャンプなども各地で楽しめるので、アウトドア好きにとって行き先に困ることはない。 「毎日外を走りまわって、笑って過ごしていることだけで十分ですが、身近でいろんな経験ができるので、その都度成長を感じられます。」 親が選んだこの地で、子どもたちも楽しく過ごせていることもシンプルに嬉しいという。 遊びに行ける場所の選択肢が多い 子どもが小さい頃は、市内で開催されるマルシェや近所の公園に行くことが多かったが、成長に伴い遊ぶ場所も変化してきた。 ご主人もいる週末は、一日は近場で、一日は遠出するというのが最近の過ごし方。 「近場では、市内のショッピングモールや、近隣市町の公園に行きます。遊具が充実した公園は子どもたちのお気に入りで、毎回行き先を変えることで飽きずに楽しんでくれます。」 遠出の場合は、那須エリアにあるファミリー向けテーマパークや、茨城県、群馬県に足を伸ばすことも。高速を使えばどこへ行くにも1時間程度なので、行き先に困ることはないという。 「調べてみると、宇都宮市や佐野市の商業施設にも、キッズスペースが充実しているところがあるみたいで。子どもを遊びに行かせるだけでなく、大人も買い物を楽しみながら、子どもも楽しめるというのは良いですよね。」 情報通の冨永さん。普段の情報収集については、「イベントなどは、市内のお気に入りのお店のS N Sをフォローして、出店情報をチェックして把握しています。子どもの遊び場は、友人が調べたものを教えてくれるんです。」 友人というのも、小山市に移住して来られた移住者仲間。 冨永さんが移住してきた当初、市が主催している移住者交流会『welcome! Oyama beginner』に参加したことをきっかけに、地元のキーパーソンや移住者同士とつながることができた。その時に知り合ったママ友とは、普段から情報交換をしたり、子どもと一緒に遊びに行くこともあるという。 「小山市はイベントが多いですが、最近はイベントで地元の方と交流するより、家族と公園や遠出して過ごすことが多かったなと気づきました。気になるお店もどんどん増えていますし、原点回帰でまたイベントに参加したいですね。」 子育てしながら在宅でできる仕事を 2022年春まで、都内の会社に在籍していた冨永さん。 会社がテレワークを導入していた際は、子どもと触れ合う時間が十分確保でき、仕事と子育てのバランスが非常に理想的だったという。しかし春にコロナが落ち着いたタイミングでテレワークが終了。会社との話し合いも重ねたが、子どもの幼稚園入園のタイミングとも重なり、一度子育てを優先する決断をし、退職した。 「仕事はしたいと思っているので、情報収集はしています。私も驚きましたが、在宅で働くことを望む主婦向けの求人情報って、栃木には意外とたくさんあるんです。」 働き方の変化に伴い、求人情報も世の中のニーズに合わせたものに変化している。 「在宅のみの仕事であれば、通勤アクセスを気にせずに、仕事内容で選ぶことができます。これからは、より一層栃木での暮らしを満喫しながら、仕事も子育ても充実させていきたいですね。」

おいしくて楽しい! この街の名物

おいしくて楽しい! この街の名物

染谷 典さん

新しい発想×昔ながらの製法で、いままでにないどら焼きを 暖簾をくぐると、雑誌の切り抜きが壁一面に飾られた店内に、どら焼きが種類ごとにトレーに収められ、ずらりと並んでいる。その光景は、まるでパン屋かカフェのよう。「バタどら」や「小豆と栗どら」をはじめとした定番から、「桜バター」や「よもぎきなこ」などの季節もの、さらに「マシュマロチョコ」や「モンブラン」といったニュータイプの商品まで、常に20~30種類のどら焼きがそろう。ポップに目をやると、「全身に塗りたい香りとコク!」(桜バター)や、「ポーチに入れたい程の好感!」(桜小豆)など、思わずクスっとしてしまうような、遊び心とパンチのきいた文字が躍っている。 「うちでは、どら焼きの皮のことを“バンズ”と呼んでいて、『バンズで挟めば、それはもうどら焼きだ』というルールを、勝手に決めているんです」 そう話す店主の染谷さんが、これまで手がけてきたどら焼きは120種類以上。コロッケやハンバーガー、お惣菜(!?)などの変わり種にも挑戦してきた。といっても、試作の方法はいたって真面目だ。染谷さんは、女性スタッフの意見も取り入れながら何度も試作を重ね、納得のいったものだけを店頭に並べている。また、県内はもちろん、東京の和菓子屋などへも、定期的に足を運ぶ。 「名店と言われるところは悔しいけどおいしくて、刺激を受けますね。何が違うんだろうって、店に帰ってきては材料を見直したり、作業工程を変えてみたり、けれど結局、うまくいかなくて元に戻したり……。そんなことばかり、ずっとやっています」 皮の生地には、「イワイノダイチ」という栃木県産の小麦粉や、大田原産の卵など、できるだけ地元のものを使用。防腐剤や保存料は使っていない。それを、熱伝導率の高い銅板で、一枚一枚、片面が焼けたら裏返してもう片面を焼くという、昔ながらの“銅板一文字の手焼き”を今も続けている。多いときには、一日500~600個分の皮を焼くこともあるという。 「最近は、機械を使って焼くフワフワな食感の皮が多いなかで、しっかりとした歯ごたえがあるのが、うちの特徴。これだけは変わらずに、守り続けています」 栃木へ戻るつもりは、まったくなかった 東京で生まれ育った染谷さんが、両親の地元である間々田へ引っ越したのは、中学3年生のこと。その後、高校3年間をこの地で過ごしたが、大学進学をきっかけに、また東京で一人暮らしを始めた。卒業後は、海運会社に3年半、アパレル会社に6年半勤め、アパレル時代には、海外での買い付けも経験した。「栃木へ戻るつもりは、まったくなかったですね」と振り返る。 そんな染谷さんが地元へ戻る決心をしたのは、三代目として和菓子屋を切り盛りしていた伯父さん(母親の姉の夫)が80歳になり、引退して店を閉めるのを決めたことがきっかけだった。 「母も、退職していた父も和菓子屋を手伝っていて、たまに電話で話すと、店を閉めることをとても残念そうに思っているのが伝わってきて。ちょうどそのころ、ぼくは独立して自分の店を開きたい、なかでも飲食関係がやりたいと考えていたこともあり、継ぐ決心をしたんです。また、当時はなんとなく地元に苦手意識があって、それを克服したいという気持ちも、少なからずありましたね」 老若男女、誰もが気楽に立ち寄れる店に Uターンしてからは、名物だった饅頭をはじめとした、和菓子づくりに没頭。失敗を繰り返しながら、約35種類の和菓子をつくり続けてきた。そのなかで、どら焼き専門店へと業態を変えたのは、どんな理由からだろう? 「当時、調査をしてみたら、お客さんの95%くらいが60歳以上の女性でした。僕は、その年齢層を下げて、若い人や男性も含め、老若男女が気楽に来られる店にしたかったんです」 そこで、和菓子屋を続けながら、まずは5年半前に茨城県の古河市に1号店を、その2年後には和菓子屋を辞めることを決意すると同時に、間々田に2号店を、さらに2年後に、小山駅のほどちかくに3号店をオープンした。 「数多くある和菓子のなかから、どら焼きに絞ることにも迷いはありませんでした。どら焼きは、子どもから年配の方まで誰もが好きで、和洋どちらの食材にも合い、表現の幅も広い。実は、定番商品の一つである『バタどら』は、和菓子屋だったころから人気商品の一つだったんです」 生産者や商店主のみんなと、一緒に盛り上がっていきたい 和菓子屋を継いだばかりのころは、ネーミングから使う素材まで、地元色を出そう、出そうとしていたという。けれど、それは表面的なものとなってしまっていたのか、最初は売り上げが伸びるが、リピートにはつながらなかった。そのため、あえて今は、地域らしさをそこまで意識はしていない。 「単純に、おいしいからまた食べたい! デザインが可愛いから、面白いから手土産に持っていこう! その繰り返しのなかで、『間々田といったらワダヤのどら焼きだよね』と名物になっていく。それが大事なんだと、失敗もしながら(笑)、気が付きました。どら焼きは、手を汚さずにワンハンドで食べられます。ファーストフード感覚で気軽に、おいしいどら焼きを楽しんでもらえたら、それが変わらない思いです」 現在でも、古河のカボチャやニンジンなど、地元の食材を使ったどら焼きをつくっているが、小山のハト麦など、少しずつ新たな特産品を使った商品にも挑戦していきたいと考えている。一方で、染谷さんは、音楽ライブやマルシェ、農家の収穫祭、雑貨屋の企画展など、仲間が主催するさまざまな地域のイベントにも出店。自身も「Mamamada FES」というロックフェスなどを運営している。 「地域の食材を積極的に使うのは、地元の農家さんと一緒に頑張っていきたいから、イベントに力を入れるのは、小山市はもちろん、県をまたいだ古河市や結城市で活動する魅力的な商店主たちと、みんなで一緒に盛り上がっていきたいから。それが結果的に、この地域全体を楽しくすることにつながっていったらいいなと考えています」

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