ぼくはこの吉田村が大嫌いだった
伊澤 敦彦さん
素材の持ち味を、最大限にいかしたジェラートを 「正直にいうと、ぼくはこの吉田村が大嫌いだったんです」 どこまでも続くのどかな田園風景や、夜空に広がる満点の星は美しく、子どものころから好きだった。けれど、最寄り駅まで自転車で30分以上かかる不便さや、近くに飲食店や商業施設などが何もない環境にたえられず、伊澤さんは高校を出てすぐに東京のデザイン学校へ。卒業後も都内でデザイナー・アートディレクターとして8年間、グラフィックやWebの制作に携わってきた。 そんな伊澤さんが地元に戻る決意をしたのは、いちご農園を営む父親が、近くにオープンする道の駅でジェラート店を開こうとしたことがきっかけだった。 「父の計画では、どこの田舎にでもあるようなお店になってしまいそうで。いちご農園がジェラート店をやるのであれば、『どこよりもおいしい、いちごのジェラート』を出さなければ意味がない。そのためには、自分がやるしかないと思ったんです」 それから伊澤さんは、都内の名だたるジェラート専門店を訪ねて回った。そのなかで、東京・阿佐ヶ谷にあるジェラートの有名店「Gelateria SINCERITA(ジェラテリアシンチェリータ)」の門をたたく。 「素材のよさを最大限に生かすという考え方に強くひかれました。ジェラートは、材料の配合バランスが命。素材のおいしさを引き出すためには、糖分や乳脂肪などの質や量を綿密に計算し、その素材に合った最適な配合にすることが大切です。『Gelateria SINCERITA』でジェラートづくりの本質を学べたことは、本当に幸せでした」 2011年3月「道の駅しもつけ」の開業とともに、ジェラート専門店「GELATERIA 伊澤いちご園」はオープン。ショーケースをいろどるのは、常時15種類から20種類ほど用意されるジェラートだ。その素材は、県内外問わずいいものを厳選して使用。たとえば、ブドウは栃木市大平町のブドウ園から、りんごは長野のりんご園からと、伊澤さんは生産者に直接会って仕入れることを大切にしている。 「いい素材には、それぞれの生産者の思いが詰まっています。ぼくはその思いを大切に受け継ぎながら、おいしさや素材感を高めたジェラートとして提供していきたい。ブドウよりもブドウらしい、りんごよりもりんごらしいジェラートをつくり、生産者をヒーローにすることが、いちごの生産者でもある自分の責任だと思うんです」 現在、伊澤さんは父親とともに、いちごの栽培にも携わっている。「伊澤いちご園」のいちごは、ハウスで完熟の一番おいしい状態に育てたうえで、出荷されるのが特徴。そのためには、徹底した温度管理とスケジュール管理が欠かせない。伊澤さんは、これまで父親の経験に頼ってきたその技術をすべて数値化。栽培の要点を、いち早くつかもうと努めている。一方、父親も、適度な酸味があり加工品に適した「女峰」という品種を新たに栽培するなど、伊澤さんの取り組みを応援している。 地元を快適な居場所に、自分たちの手で 2014年5月、伊澤さんは旧吉田村にイタリアンカフェ・バール「L'ape Ronza(ラーペロンツァ)」をオープンした。そのきっかけは、高校の後輩であり、ジェラート店を手伝っていた伊藤美琴さんや父親と、飲みながら「伊澤いちご園」の将来について語り合ったことだった。 「ジェラートは、どうしても冬場に売上が下がってしまう。だから、ジェラート店にカフェを併設したい」と漠然と考えていた伊澤さんに対し、都内のフレンチやイタリアンなどのレストランで経験を積んできた伊藤さんは「イタリアの農村にあるような、地域に根ざしたレストランができたら素敵だよね」と語った。すると「使われていない、あの農協の建物がいいのでは!」と父親。翌日、みんなでその建物を見にいくことに。 「築50年ほど経った無骨な鉄骨の事務所や、大谷石でつくられた石蔵を見たとき、お店のイメージが一気に膨らんできました。『吉田村に飲食店がないなら、自分たちでやるしかない』と考えていたこともあり、イタリアンカフェ・バールを開く決意をしたんです」 大谷石の石蔵を、たくさんの人が集う場所に 2015年10月4日、「L'ape Ronza(ラーペロンツァ)」の前の敷地には、栃木や茨城にあるカフェの有名店をはじめ、古道具店や花屋、農家などが集まった。「吉田村まつり」の会場は、各ブースから漂うおいしそうな香りや、アイリッシュバンドが奏でるメロディ、そして多くの笑顔で満たされていた。 地元の旧吉田村にイタリアンカフェをオープンし、マルシェも成功させた伊澤さんに「この街が、だんだん好きになってきたのでは?」とたずねると、返ってきたのは「まだまだですね」という言葉だった。 「まだ、このイタリアンカフェが一軒、オープンしたにすぎません。これからは、カフェの向かいに建つ大きな石蔵を改装し、パン屋や花屋など、いろんなお店が出店できる場所にするのが目標です。ぼくはこの吉田村を、住む人が誇れる街にしていきたい。わざわざ友だちを呼びたくなるような、子どもたちがずっと住み続けたくなるような、何よりもここに暮らす自分たちが快適に過ごせる街に」 何もないからこそ、可能性はあふれている 中学や高校のころ「何もない」と感じていた地元には、じつはたくさんの魅力や可能性があることを、いま伊澤さんは実感している。 「豊かな田畑、おいしい野菜、あたたかな人々。何もないからこそ残る、のどかな田舎の風景は、首都圏の人たちの目にきっと新鮮に映るはずです。栃木県内には、吉田村のような地域が数多くある。UIターンした人たちが新たな視点で地域の魅力を掘り起し、培ってきた能力をいかして、これまでにない仕事を生み出せる可能性はあふれています」 伊澤さんが「吉田村まつり」を始めたのは、豊かな田舎の風景が残るこの地域の魅力を、県内外にアピールするのも狙いの一つだという。 「ぼく一人でできることは限られている。だから、活気あふれる吉田村の“青写真”を鮮明に描くこと、常にそれを発信し、多くの人を巻き込むことが大切。それこそが自分の役割だと思うんです。“青写真”には、たくさんの人に色をつけてほしい。いろんな個性が集まったほうが、きっと魅力的な地域が実現できるから」 いま旧吉田村では、伊澤さんの思いに共感した設計士やデザイナーが参加し、石蔵を人が集う場に再生する「吉田村プロジェクト」が動き始めている。東京から地元に戻って5年。伊澤さんの思い描く“青写真”が現実になる日は、きっともうすぐそこだ。