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【那珂川町】農家民宿の経営塾受講生募集中!! (令和5年2月開講)

【那珂川町】農家民宿の経営塾受講生募集中!! (令和5年2月開講) | セミナー・フェア

 

那珂川町は栃木県の北東部に位置し、那珂川をはじめとする清らかな川の流れと、それを取り囲む自然豊かな里山が織りなす昔ながらの農村風景の広がる町です。

農園民泊「菜花の庄(さいかのしょう)」は那珂川町の西部に広がる田畑の中にあり、東京から移住してきた園主の庄山さんは築130年の古民家を改築し農家民泊を開業しました。安全・安心な食べ物を作り育て、心安らぐ場所を提供しています。

このたび、この度菜花の庄では、田舎暮らしに興味があり、田舎に移住し、のんびりとした環境で「農家民宿」を開業したいと考えている方を対象とした、農家民宿のノウハウを学べる塾を開講することになりました。

農家民宿、農家レストラン、農的な暮らしなど、「自然の中で、自ら食べものを作り育て、人々との出会いを楽しみたい!」と考えている方は、ぜひ受講してみてはいかがででしょうか?詳しくは下記のリンクをご確認ください!

 

農園民泊経営塾チラシPDF

 

 

菜花の庄HP

 

 

 

 

 

那珂川町の交流・イベント

那珂川町について

那珂川町

人口約1万6千人、栃木県の東北東で茨城県に隣接する、那珂川町。
町の中央を流れる清流・那珂川を取り囲む里山の美しい景色と、良質な温泉、隈研吾氏の設計による馬頭広重美術館キャンプ場といった施設が多くのみなさんに支持されています。

典型的な内陸型の気候で、寒暖の差はあるものの年間を通じて比較的温暖なため、降雪量も少なく過ごしやすい環境です。

那珂川町の先輩移住者の声

自分を救ってくれた<br />「心のふるさと」を<br />たくさんの人に届けたい

自分を救ってくれた「心のふるさと」をたくさんの人に届けたい

吉田 夏希(よしだ なつき)さん

苦しい状況の先に見つけた 地方移住という選択肢 コロナ禍という厳しい時期に就職した吉田さん。横浜市の実家から都内に通勤し、化粧品研究開発の仕事に携わっていたが、会社の業績悪化により転職を余儀なくされた。神奈川県内の化粧品研究開発会社に転職したものの、そこでも厳しい現実が待っていた。 「とても忙しい会社で、朝早くから終電近くまで働く毎日でした。所属するグループ内で休職者が出たり、私自身も周りからの当たりが強くなるのを感じたりして、心がすり減っていくようでした。泣きながら仕事することもあって…。不登校になったことはありませんでしたが、会社に行けなくなる日もありました」 そう語る吉田さん。これらの経験から、組織に対する恐怖感を抱くようになっていった。 「このままの状況が続けば、自分を失ってしまいそうで怖かったです」 人生を変えるきっかけは、友人の何気ない一言だった。 「近くにいた友人が『田舎で野菜でも始めようかな』と言っていて。それを聞いた瞬間、『あ、それだ!』と思いました」 もともと旅行が好きで、自然に親しむことが好きだった吉田さん。現状を一新するのにぴったりだと考え、地方への移住を検討し始めた。 移住相談をするため、移住・交流推進機構が運営する移住・交流情報ガーデンへ。移住をしたい、でも会社勤めは怖い…。そんな思いを正直に伝えたところ、紹介されたのが地域おこし協力隊だ。自分でもインターネットで情報を集め、栃木県・静岡県・高知県に候補地を絞った。日本全国の移住相談窓口を抱えるふるさと回帰支援センターでさらに詳しい話を聞き、実際に栃木県那珂川町と静岡県島田市を訪問した。 「那珂川町の、自然が豊かでゆったりとした時間が流れているところに魅力を感じました。初対面の方も、とても温かく包み込んでくれるような雰囲気で…。ゆっくりゆっくりと商店街を車で走るおじいちゃんを見てほっこりしつつ、車の運転が得意ではない自分でも暮らしていけそうだと思えました」 那珂川町の協力隊の募集要項を見て、生活面でも安心できる内容だったことも決め手となった。さらに、幼い頃から大好きだった絵本作家・いわむらかずお先生の美術館があることも、縁を感じる理由のひとつとなった。 「島田市も魅力的でしたが、私が求めていたのは那珂川町のような田舎だと、実際に訪問して気づいたのです。人の優しさ、温かさ、そして思い出の絵本とのつながり…。これらすべてが決め手となり、那珂川町に移住しようと決めました」 心身ともに元気になれた「人間らしい生活」 都会の喧騒から離れ、自然に囲まれた那珂川町での新たな日々が始まった。朝起きれば鳥のさえずりが聞こえ、川の横を歩けばせせらぎが耳に届く。 「景色の移り変わりが肌で感じられて、常に自然と一体になっているような感覚です。ずっと旅行をしているような、毎日が新鮮で特別な時間です」 地域の人々との交流も、吉田さんの生活に彩りを添えている。 「ご高齢の方が多くて、まるで孫のように可愛がってくれます。お米ができたからと呼ばれて行くと、次々とおかずが出てきて…。ドラマのワンシーンのような光景が現実になって驚きました。人とすれ違えば必ず挨拶を交わしますし、本当に人の温かさを感じるまちです」 地元の野菜や温泉も、暮らしを豊かにしてくれる魅力のひとつだ。 「野菜が驚くほど新鮮で美味しくて。温泉は500円程度で入れます。日常的に温泉を楽しめるなんて贅沢ですよね。興味を持って、昨年、温泉ソムリエの資格も取得しました」 那珂川町の馬頭温泉郷は「美人の湯」として知られ、温泉から見える美しい夕日から「夕焼け温泉郷」の愛称も持つ。 都会的な横浜市からの移住ということもあり、不便さを心配していた吉田さんだが、そんな不安は杞憂に終わった。 「確かに那珂川町に大型ショッピングモールはありませんが、宇都宮駅周辺や那須のアウトレットにも1時間程度で行けます。むしろ今は、消費に縛られない自由な生活ができるようになりました。『ないものは作る』という地元の方の考え方にも刺激を受けています」 自然とともに生きて、旬の味覚を楽しみ、人とつながる。那珂川町での暮らしは、吉田さんが求めていた「人間らしい生活」そのものだった。 「移住前は精神的に辛い状況でしたが、移住当時を知る周りの人からも『元気になったね』と言われます」 2023年4月の移住から約1年半。移住前、苦しい状況の中で自分を見失いそうだった吉田さんの表情は、今、生き生きと輝いている。 気づけば、自然とやるべきことが明確に 吉田さんの地域おこし協力隊としての主な活動は、那珂川町観光協会のサポートだ。物販に同行したり、ツアーに参加したりしながら、那珂川町の魅力を発信している。 「言いづらいのですが…『まちおこしに取り組みたい!』と思って協力隊を志望したわけではなかったので、はじめは何をすればいいのだろう、特別なスキルのない自分に何ができるのだろうと悩みました。でも、観光協会から指示をいただいた内容に取り組んだり、まちの方と触れ合ったりするうちに、那珂川町の良さを伝えたいという気持ちが芽生えてきました」 関東随一の清流・那珂川と緑あふれる里山、四季の恵みがもたらす豊かな食、日常に溶け込む温泉、多数の美術館や史跡…。移住してきたからこそ、そして、協力隊として活動しているからこそ分かる那珂川町の魅力がたくさんある。そんな良さをまちの中からじんわりと広げていきたいと吉田さんは考えている。 昨年には温泉ソムリエの資格を取得し、温泉を通じてまちの魅力を伝える活動を始めた。また、味噌づくり教室など、まちの人と外の人をつなぐイベントも企画している。 「地域柄、謙虚な方が多いのか、『那珂川町のいいところはそんなにないよね』という方が多いんです。まずは地元の方に那珂川町の良さを知ってもらい、そこから口コミで広がればいいなと思っています」 そう語る吉田さんは、那珂川町の「人の良さ」をアピールすることに力を入れている。 「私が一番アピールしたいのは『人の良さ』。那珂川町を知ってもらって、好きになってもらって、訪れた人にとって、どこかほっとできる『心のふるさと』になってほしいですね」 協力隊の活動を通じて、地元の人々との深いつながりも生まれた。 「日常的にメールをくれたり、ランチに誘ってくれたり。何か活動を始めるとなったら、アドバイスをくれたり。本当の孫のように可愛がってもらっています。そんな皆さんと関わるうちに、このまちのために何かしたいという気持ちが強くなってきました」 自分は何がしたいのだろう。自分に一体何ができるのだろう。 自分の進むべき道が見えずにいた吉田さんだったが、協力隊として那珂川町に入り、まちの方の温かさに触れるうちに、徐々に自分の役割が見えてきた。 那珂川町の観光や地域活性化に貢献しながら、吉田さん自身も成長を続けている。 いろんな生き方があっていいのだと示したい 地域おこし協力隊として活動する中で、吉田さんの今後の活動目標が明確になってきた。 「都会から移住してきた自分だからこそ分かる那珂川町の良さがあると思っています。私ならではの視点やアプローチで、那珂川町をPRしていきたいです」 そう語る吉田さんには、強い決意が感じられた。 「泣きながら仕事をするほど気持ちが落ち込んでいる状態で那珂川町に移住してきて、しかも、積極的にまちおこしに取り組みたいと思って地域おこし協力隊になったわけでもありません。でも、今こうして、今後の目標を自ら立てて前向きに取り組めるほどに成長できました。まちの方々との触れ合いを通じて、まちおこしにも情熱を感じるようになりました」 吉田さんは、協力隊の任期終了後も、那珂川町に残ることを決めている。起業も視野に入れているそうだ。 「那珂川町で培った人とのつながりを活かして、都会で働く方が癒しを感じられるようなツアーを企画したいと考えています。まちの方の温かさに触れて、那珂川町を『心のふるさと』として感じてもらえるような、そんなツアーです」 この構想を地元の人に話すと、「いいね」「協力するよ」と言ってもらえるそうだ。 そう、いつだって温かく支えてくれる人がいる。 自分には特別なスキルがない…。自分にできることはあるのか…。移住当初、そう悩んでいた吉田さんが起業を目指すようになったのは、大きな気持ちの変化だった。 起業する周囲の協力隊や自営業のまちの方と接するうちに、自然と起業に対する考え方が変わっていったという。 「私のように、まちおこしが入口でなくても、苦しい状況からスタートしても、協力隊として活動しているうちに目標を見つけることもあります。そういった生き方があってもいいのだと思います。そんな道筋を示すことで、私と同じように悩んでいる人たちの選択肢が広がるとうれしいです」 吉田さんの言葉には、那珂川町への愛と、今後への期待で満ち溢れていた。 これからの活動が、さらに那珂川町を、そして吉田さん自身を輝かせていくことだろう。

“農”と“食”を通じて、地域を元気に

“農”と“食”を通じて、地域を元気に

小鮒拓丸さん・千文さん

農業を生業にしたい。二人の思いが一つに 「こっちが10分加熱した“ゆずジュース”で、こっちが加熱していないものです。加熱時間や素材の配合などを少しずつ変えて、どのパターンが一番おいしいか、料理に合うかなど、来年度の商品化を目ざして試作を繰り返しているんです」 そう話す小鮒千文さんは東京で生まれ、3歳のころ父親の地元である福島県郡山市へ。“食”に関心を持ったのは、25歳のときに大きな病気をしたことがきっかけだった。 千文さん:「食べることは、生きることに直結している。食べ方や心のあり方が、健康であるためにはとても重要だと痛感しました。病気を機に『食を通じてみんなの元気を応援したい』と思い、食の勉強を始めたんです。マクロビオティックのスクールに通ったり、北京中医薬大学日本校で薬膳について学んだり、食について知れば知るほど、その根本である“農業”への関心が高まっていきました」 同じく郡山で生まれ育った拓丸さんは、人材派遣会社やアパレルのお店で働きながらも、だんだんと子どもの頃から好きだった動植物にかかわる仕事がしたいと考えるようになった。「農業を生業にしたい」と二人の思いが一致し、準備を始めたちょうどその頃、東日本大震災が発生した。 拓丸さん:「周囲で野菜の出荷停止が続く状況のなかで、農業を一から勉強し、就農するのは難しいのではないかと感じました。いろいろ調べた結果、千葉県の長生村にある会員制農園『FARM CAMPUS』を見つけ、社長さんの好意によって、住み込みで働きながら農業を学ばせていただけることになったんです」 千文さん:「震災後、郡山の保育園でも外遊びが制限されて、息子が保育園から脱走してしまったことがあったんです。息子をもう少しのびのびした環境で育てたいと思ったのも、移住を決めた理由でした」 仲間に支えられて農と食を学んだ、外房での日々 千葉県のFARM CAMPUSで、拓丸さんは農場長として働きながら、近隣の自然栽培を手がける農家にも通い、農業を学んでいった。 一方、千文さんは農園内にある古民家で「のうそんカフェnora(ノーラ)」を開店。郷土食をテーマに、地元の野菜やお米、魚などをいかした、この土地でしか食べられない料理を提供してきた。また、4年半過ごしたうちの最後の1年は、英語保育を手がける保育園で、離乳食から大人の食事まで毎日30人分の料理を手がけてきた。 千文さん:「農園の社長さんや移住者の仲間たちなど、たくさんの人の支えがあったからこそ、私たちは農業や食、カフェの運営などを学ばせてもらうことができました。独立にあたって、外房を離れるのはとても名残惜しかったのですが、これからは自分たちの足で歩んでいかなければいけないと思い、那珂川町での就農を決意したんです」 千葉から郡山へ帰省する途中、よく通っていた那珂川町。ここで暮らすことを選んだのは、里山や川の美しさにひかれたからだ。また、郡山の実家に近いことも大きな決め手になった。 里山の旬の恵みをおすそわけ 「あっ、ここにも顔を出していますよ!」 取材に訪れたのは、春の足音が聞こえ始めた頃。家の前に広がるフキ畑には、たくさんのフキノトウが顔を出していた。拓丸さんは地域の資源を活用しながら、10反(約3000坪)の畑で少量多品目栽培に取り組んでいる。春夏秋冬の旬な野菜をセットにし、直接東京や県内のお客さんに発送。地域の飲食店にも野菜を卸している。 拓丸さん:「これからは自分たちの野菜だけではなく、里山のタケノコやフキノトウ、地元のおばあちゃんがつくった梅干しや、製麺所が手がけた天日干しのそばなど、この地域に息づくいいものも一緒に届けていきたいですね。僕たちは里山でしかできない仕事を、都会に暮らす人はそこでしかできない仕事をして、お互いに足りないものを補い合って生活していく。そんな循環する関係を築いていくことは、この地域の産業や里山を守ることにもつながると思うんです」 食を通じて、地域の元気を応援したい 千文さんは地域おこし協力隊としてこれまでの食の経験をいかし、産前産後のお母さんを対象にした町のプログラムで、那珂川町の食材を使ったマクロビオティックランチなどを提供している。この取り組みが始まったのは、食を通じて何か役に立てることはないかと考えた千文さんが、自ら町の健康福祉課を訪ねたことがきっかけだった。「食事によって産前産後のお母さんの健康をサポートしていく」という考え方に担当者も共感してくれて、来年度からは毎月1回など定期的にランチを提供していく予定だ。 ゆずを活用した商品開発の取り組みも、自ら町の六次産業化部会に参加したことがきっかけでスタートした。 千文さん:「かつて那珂川町では新たな産業を生み出そうと、ゆずの木を植えたことがあったそうです。けれど、今では高齢化が進んで、活用されないまま放置されていました。このゆずをいかして、新たな商品をつくり出すのが目標です」 千文さんは、ゆずジュースやゆず紅茶、化粧水や入浴剤など、さまざまな製品を試作。来年度中の商品化を目ざしている。 “農”と“食”を通じて、地域に恩返しを 最後に、二人のこれからの夢についてうかがった。 千文さん:「いつになるかは分かりませんが、“食堂のおばちゃん”になるのが私の夢。那珂川町の豊かな食材をいかした料理を提供するような、いろんな世代の人が集う場所をつくれたらいいなって思っています」 拓丸さん:「いつか農園でも、新たな雇用を生み出していきたい。僕たちが外房で成長させてもらったように、那珂川町で農業を学んでみたい、移住したいという人を、一人でも多く応援できたらと考えています。もし那珂川町で農業をやってみたいという方がいたら、ホームページからなど、いつでもご連絡ください!」 二人は常に自分たちにできることは何かと考え、目の前にあることに一生懸命に打ち込んでいる。“農”と“食”という自分たちが学んできたことを、一つ一つ地域に還元していく。それこそが、子どもたちに少しでもいい地域を、世の中を残すことにつながると信じて。

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