那須町空き家バンク事業
空き家を売りたい・貸したい所有者と空き家を買いたい・借りたい利用者が、それぞれ登録を行い、利用者に空き家情報の一部を提供しています。
那須町は栃木県の北部に位置し、東京都まで約170km、県庁所在地である宇都宮市まで約60kmの距離にあります。
北西部には那須連山の主峰・茶臼岳(1,915m)がそびえ、その南斜面には1,300年以上の歴史を持つ那須温泉郷が、山麓地帯には別荘地やテーマーパーク、那須御用邸などがあります。
高原地帯では傾斜地を利用した酪農が盛んで、中央・東部地区には水田地帯が広がっています。
南東部には、八溝の山並みに抱かれた里山の農村風景が、源義経から俳人松尾芭蕉に至るまでさまざまな史跡とともに広がっています。
Basic data of nasu
人口 | 24,191人 |
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世帯数 | 10,687世帯 |
総面積 | 372.34㎢ |
東京からのアクセス |
公共交通機関をご利用の場合
自動車をご利用の場合
ETCを搭載した普通車・軽自動車(車長12m以下の全車種)であれば、那須高原スマートICもご利用になれます。 |
イメージキャラクター | きゅーびー、クロロ |
公式ホームページ | https://www.town.nasu.lg.jp/ |
公式 facebook | https://m.facebook.com/town.Nasu/ |
公式移住促進 ホームページ |
https://www.teijyu.town.nasu.lg.jp/ |
UIJターン窓口 |
那須町ふるさと定住課TEL:0287-72-6955 |
那須温泉郷は、今なお煙を吐き続ける「茶臼岳」の山腹に散在する温泉群の総称です。舒明2年(630年)の鹿の湯(元湯)発見に始まり、その後、板室・三斗小屋・大丸・北・弁天・高雄など次々に温泉が発見され、現在では地理的にやや離れた板室を除いて「那須十一湯」と呼ばれています。その効能の高さを求めて、源 頼朝や日蓮上人、松尾 芭蕉などの著名人も湯治に訪れたと記録されています。
なかでも鹿の湯は、栃木県内最古の温泉。昭和16年改築時の姿をそのままに受け継ぐ、木造建築の歴史深い名湯です。白濁した湯が特徴の硫黄泉で、全国から多くの人が訪れています。
那須連山の麓に広がる那須高原は、皇室の方々がご静養される御用邸もあることから「ロイヤルリゾート那須」と呼ばれています。那須連山の主峰である茶臼岳へは、那須ロープウェイで雲上散歩。
山頂駅から1時間程度で山頂に到着します。山頂駅に併設された展望台からも絶景のパノラマをお楽しみいただけます。
登山・ハイキングのほかにも、ゴルフ、スキー、パラグライダー、キャンプ、乗馬、テニス、釣りなど多彩なスポーツ・レジャーを楽しめる絶好の環境です。
茶臼岳山頂コース/峰の茶屋・茶臼岳登山コース/南月山・白笹・沼ッ原コース/日の出平・沼ッ原コース/峰の茶屋・三斗小屋温泉コース/姥ヶ原・三斗小屋温泉コース/隠居倉・三斗小屋温泉コース/三本槍岳・大峠・三斗小屋温泉コース 等
那須町では涼しい気候や昼夜の寒暖差を生かし、さまざまな高原野菜が育てられています。
地産野菜を扱うレストランでは、みずみずしい那須町の高原野菜を存分に味わえます。
那須高原には牧場が多いことから、新鮮な牛乳、牛乳を使用したソフトクリームやチーズ、ヨーグルト、チーズケーキなども人気です。
那須産のチーズがふんだんにのったピザもおすすめ。那須山麓の美味しい水を使ったパンやビールもぜひご賞味ください。
空き家を売りたい・貸したい所有者と空き家を買いたい・借りたい利用者が、それぞれ登録を行い、利用者に空き家情報の一部を提供しています。
45歳未満の方が町内に住宅を新築又は中古住宅の取得及び既存住宅の増改築をした場合に費用の一部を助成します。(各種条件あり、上限50万円)
※住宅の改築または登記が完了した日から6箇月以内に申請する必要があります。
木材使用材積のうち八溝材を60%以上使用した場合、購入価格の10%を補助します。(上限30万円)
町内に新築された住宅については、新築後一定期間、固定資産税が減額されます。(減額の対象となるには、一定要件を満たす必要があります。)
満18歳に達する日以降の3月31日まで医療保険が適用となる保険診療の自己負担分を助成します。
3人以上の児童を現に育てている世帯に対し、第3子以降の児童の保育料を免除します。
子育てに必要な乳幼児用おむつ及びその関連商品を購入する費用の一部を助成します。
産婦の身体的・心理的なケアや栄養・保健指導、適切な授乳をするためのケア、育児や生活上の相談・指導を医療機関等で受けられます。
新生児聴覚検査(初回及び確認検査)の費用を助成します。(1人あたり5,000円を上限)
保険診療適用外の不妊治療に係る費用が対象です。(1年度1回とし、通算5回まで助成 上限あり)
不妊検査や治療を受けるために休暇を取得した本人、事業主に1日あたり1万円助成します。(上限15万円)
妊娠届出をした妊婦に出産応援給付金を5万円、生まれた子の養育者に子育て応援給付金を出生児1人につき5万円を給付します。
中学生までの子どもを養育している方に児童手当を支給します。
母子手帳の交付を受けた妊産婦に、医療保険が適用となる保険診療の自己負担分を助成します。
国民健康保険の被保険者が出産したときに出産育児一時金を支給します。
平成29年度より、プログラミング教育を県内の市町に先駆けて実施しています。
小・中学生を対象に英語体験研修(宿泊・オンライン英会話等)を実施しています。
各学校の調理室で調理し、温かい給食の提供を行なっています。
カフェのようなオープンスペースでテレワーク等の仕事ができるコワーキングスペースを設置しています。どなたでも無料または安価にご利用できます。
本社とは別に従業員が就業できるサテライトオフィスの開設を検討している企業等を対象に那須町お試しサテライトオフィスを一定期間貸出しています。
町では、空き店舗・空き家の有効活用の促進と中小企業等の支援のため、空き店舗等リフォーム補助金制度を実施しています。
補助金を受けるには工事着手前に町へ申請が必要です。
閉校となった田中小学校校舎を改修し、那須町田中複合施設「りぼーる・たなか」内に、中小企業や新規起業者が賃貸できる事務所等に活用いただけるよう、「中小企業等育成支援施設」を開設しています。
金子洋次さん・公乃さん
野菜の花など、新たな価値を畑から提案 「じつは、この黄色いゴーヤの花も食べられるんですよ」 そう金子洋次さんにすすめられて口に運ぶと、シャキシャキとした食感とともにゴーヤのほのかな苦みが口じゅうに広がった。 東京から那須町に移り住み、新規就農を果たした洋次さん・公乃さん夫妻は、アーティチョークやビーツなどの西洋野菜と、一般的な季節の野菜を無農薬・無化学肥料で栽培。季節の野菜は車で5分ほどにある「道の駅 東山道 伊王野」やマルシェなどで販売。一方、西洋野菜は、主に那須高原のレストランに出荷している。それだけではない。キュウリやインゲンの花をはじめ、あえて小さいサイズで収穫したピーマンやニンジン、オクラなどもレストランに届けている。 洋次さん:「例えば、キュウリやインゲンの花はこんなに小さいのに、食べると確かにその野菜の味がする。このギャップが、食べる人の感動につながります。そんなレストランのシェフが求めるものを、畑からどんどん提案していきたい。農地を拡大し生産量を増やすのではなく、今ある畑のなかで新たな価値を数多く創造することで、経営を成り立たせていくことを目ざしています。何よりもこのやり方のほうが楽しいんです!自分たちが種をまき育てたものを、その喜びのまま提案できる。僕は農業のことを、“最高に楽しい接客業”だと思っています」 最近では、那須高原のレストランのシェフたちが、畑を訪れる機会も増えている。 洋次さん:「実際に畑を見てもらいながら、『ゴーヤの花はこんな料理に使えそう』『小さいキュウリは、このサイズのものがほしい』などシェフと情報交換を行い、僕たちも勉強を重ねていくことで、最終的にレストランで出される料理の質を高めることができます。こんなふうにシェフと連携できるのも、市場には並ばない小さな野菜や花を届けられるのも、物理的な距離が近いからこそ。那須地域には、単に地元産の野菜を使うだけにはとどまらない、“新たな地産地消のカタチ”を生み出せる可能性があふれているんです」 移住者の仲間や、地域の人たちに支えられて 東京にいた頃、洋次さんはアパレルの販売を、公乃さんはスタイリストの仕事を手がけていた。二人のうち最初に移住に興味を持ったのは、公乃さんだった。 公乃さん:「彼の実家が、埼玉県の山に囲まれたところにあって、帰省する度にまわりの自然や生き物たちに癒やされていて。だんだんと自然が身近にあるところで暮らしたいなって思うようになったんです」 洋次さん:「僕は、大量に生産して大量に販売するというアパレル業界の仕組みに違和感を覚えるようになり、自分の手で一から育てたものを販売する農業に、漠然と関心を持つようになりました。二人で話し合い、妻の父親が建てた家が那須町にあったこともあり、この地への移住を決意したんです」 2010年2月に移住後、洋次さんは「道の駅 伊王野」(下写真)で、公乃さんは那須高原にある「那須高原HERB's」というハーブとアロマのお店で働き始める。 洋次さん:「最初に道の駅に飛び込んだのは、直売所で販売を担当させてもらうことで野菜について学びたいと考えたからです。農業について全く知識のない自分をひろっていただき、道の駅のみなさんには本当に感謝しています。ここで働かせてもらえたことで、地域のみなさんに僕たちのことを知ってもらうこともできました」 少しずつ地域に馴染み始めたころ、東日本大震災が発生する。原発事故による影響もあり、農業を諦め那須を離れる人たちがいる中で、二人がここに残る決意をしたのは、移住者の先輩や仲間たち、そして地域の人たちの支えがあったからだ。 洋次さん:「『アースデイ那須』の実行委員を通じて知り合った、隣の芦野地区で地域のハブとなるようなゲストハウス『DOORz』を営む田中麻美さん、佐藤達夫さん夫妻をはじめ(下写真)、アースデイ那須を立ち上げた『非電化工房』の藤村靖之さんや、妻が勤めていた那須高原HERB'sさんを中心に、『那須いろ野菜』というブランドを立ち上げたメンバーたち、震災後、農産物が売れなくなる中で、放射性物質の検査を行ったうえでオーガニック野菜を販売する『大日向マルシェ』を立ち上げた仲間たちなどなど。震災後の困難な状況を乗り越えようと活動する先輩や仲間たちの姿を目にし、みなさんと一緒にこの那須で頑張っていきたいと強く思ったんです」 公乃さん:「伊王野地区のみなさんの支えも本当に心強かったです。例えば震災直後、ガスが使えずに困っていると、地域の方が火鉢に火を起こしてくれたり、発電機を使って井戸の水をくみ上げてくれたり、感謝してもしきれないほど助けていただきました」 就農を目ざす人たちの“モデル”となるために 2011年4月から1年間、洋次さんは栃木県農業大学校が手がける、UIターン者などを対象とした「とちぎ農業未来塾」で研修を受けたあと、有機農家を見学して回り技術を学んだ。さらに、伊王野の地域の人たちからも多くのことを教わった。 洋次さん:「例えば、一般的な種まきの時期は調べることができますが、この地区での適期は教科書にもインターネットにも載っていないんです。だから、道の駅に野菜を出荷しにくる農家の先輩方や、隣のおばあちゃんなどに何度も聞いて、失敗を繰り返しながら年間の栽培スケジュールを組み立てていきました。地域のみなさんは種をくださったり、『この苗はあるけ?』と聞いてくれたり、とても親切に教えてくれて。みなさんから学んだことも、大切に受け継いでいけたらと思っています」 2012年4月に新規就農してからは、道の駅の直売所で野菜を販売。大日向マルシェやアースデイ那須などに出店するうちに、そこに野菜を買い付けに来ていたレストランのシェフと出会い、だんだんと今のスタイルが形づくられていった。また、オーガニック野菜を求める一般の人とのつながりも広がり、直接「野菜セット」の販売も行っている。このように自分たちならではの農業を追求している二人だが、もちろん壁にぶつかり悩むこともある。 公乃さん:「本当は初夏には梅を漬けたり、冬には大根を漬けたりと、季節に寄り添った暮らしをしたいのですが、畑仕事に追われてなかなか手が回りません。今はまだ『こうなりたい』という暮らしからはかけ離れてしまっているけど、目標を忘れずに現実の問題を一つ一つ解決していきたいです」 洋次さん:「二人で相談して、この夏、はじめて週1日アルバイトの方に来てもらいました。悩んでいても何も始まりません。この那須地域だからこそできる理想の農業と暮らしの両方を実現するために、新たなチャレンジを続けていきたい。そしていつか、自分たちを見て『ここで農業をやってみたい』と思ってくれる仲間が増えていったらいいなと思っています」 那須に移住してもうすぐ6年、二人は今、必死に悩みながら前に進もうとしている。これから那須地域で就農を目ざす人たちのモデルとなるために。
鈴木 和也さん
那須の美しい自然にいざなわれて 那須どうぶつ王国に隣接する牧場からは、緑豊かな森や田畑に抱かれた那須の街並みを見渡すことができる。振り返れば、那須岳の雄大な山並み。今から28年前、この美しい自然に魅せられた一人の男性がいた。 「那須高原を訪れたのは、ちょうど5月の終わりごろ。360度見渡すかぎりの新緑がまぶしくて。日本にこんなに美しい場所があったんだ! ここで仕事がしたい! と強く思ったんです」 その男性の名は、鈴木和也さん。当時、東京のホテルチェーンに入社したばかりだった鈴木さんは、リゾート開発プロジェクトの視察で役員の運転手として那須高原を訪れた。それからというもの「現地でプロジェクトに携わりたい!」と、何度も上司に直談判。2年を経て思いは受け入れられ、鈴木さんは那須町に移り住んだ。事業立ち上げのために最初に取りかかったのは、地元の人たちとの交渉だ。 「地元の人たちと飲みに行って、膝を突き合わせてお話する機会がたくさんありました。みなさん、とても温かくて。当時、独身だったぼくにゴハンを差し入れてくれるなど、本当によくしてくれました。那須には四季折々の美しい自然、おいしい食材、何よりも魅力的な人がたくさんいる。ぼくはそんな那須の魅力をいかした、地域に密着した施設をつくりたいと思ったんです。首都圏から訪れる人だけではなく、地元の人にも愛される動物園を」 那須の食材100%!地元のおいしさが詰まった「なすべん」 「那須どうぶつ王国」がオープンしてからも、鈴木さんは観光協会の理事を務めるなど、地域活性化の活動に積極的に取り組んできた。そんな活動のなかから誕生したのが、「なすべん」の愛称で親しまれる「那須の内弁当」だ。 「それまで『那須どうぶつ王国』で提供していた料理は、ありきたりなものばかりで。なんとかメニューを充実させたかったんです」 鈴木さんは、地元農家や酪農家、飲食店を営む人たちと協力し、2006年に「なすとらん倶楽部」を結成。那須の看板メニューを生み出すべく、話し合いを重ねた。また、地元野菜を料理に活かすために、JAにも直談判を行った。 「那須町は農業がとても盛んで、『白美人ねぎ』『美なす(ビーナス)』などのブランド野菜がたくさんあります。けれど当時は、それらの野菜はすべて首都圏に出荷されていて、地元では流通していませんでした。そこで、JAさんにお願いに行き、戻り際何度も足を運ぶうちに、気骨ある職員の方が協力してくれるようになって、ブランド野菜の入手が可能になりました。こうして2010年に『なすべん』が誕生したんです」 現在では、「那須どうぶつ王国」を含む9店舗が、これらの地元食材を活かしたオリジナルメニューを提供している。2015年には「なすべん」の地産地消の取り組みが評価され、「農水省食料産業局長表彰」を受賞した。 大切なのは、自分の言葉で発信すること その後も鈴木さんは、那須の広大な自然のなかで若手アーティストの作品を発表するアートイベント「スペクタクル・イン・ザ・ファーム」を開催するなど、那須の魅力を積極的に発信してきた。その「発信すること」の大切さを気づかせてくれたのは、うれしい偶然の出会いだったという。 「たまたま那須にあるホテルで早稲田大学の中村好男教授にお会いして、それがきっかけで早稲田大学のスポーツ科学学術院で、ぼくたちの那須での取り組みについてお話させていただくことになったんです。そのプレゼンの後の懇親会で、中村先生から『那須の魅力を活かす鈴木さんの取り組みは、『那須だけではなく、日本のためにもなることだと思いますよ』と言っていただいて」 その言葉をきっかけに、鈴木さんはこれからの自分の使命に気付いたという。 「地域を活性化していくためには、自分の住んでいる街を愛し、地域の魅力を徹底的に掘り下げることが重要。けれど、それだけでは十分とは言えない。大切なのは『自分の言葉で積極的に発信すること』『そして他地域と連携して輪を広げていくこと』だと、中村先生は気づかせてくれたんです」 地域への熱い思いが実現した、数々の奇跡 これまでの取り組みにより、来場者が順調に増えていたちょうどそのころ、東日本大震災が発生した。那須町への観光客は激減し、那須どうぶつ王国でも、スタッフを自宅待機させなければならない状況となった。 「それでも、きっと何かできることがあるはずだと考え抜き至った結論は、やはり『自分の言葉で発信すること』でした。そこで那須町観光協会の支援も頂き、震災後も那須で頑張る人々の情報を発信するラジオ番組をスタートしたんです。また、那須の有志で「那須元気プロジェクト」を立ち上げ、震災で那須町に避難されて来た皆様への情報提供等も行いました。さらに、那須に事業所を持つ企業が連携して協議会を立ち上げ、那須を盛り上げるさまざまな活動を、一緒になって行ってくれるようになったんです」 鈴木さんをはじめ有志が集まり、震災前から準備を進めてきたサイクルイベント「那須高原ロングライド」を初めて開催したのも2011年のことだ。 「震災後のイベント自粛ムードのなか、『誰も参加してくれないのでは』という声もありました。でも、こんなときだからこそやらなければいけないと、あえてリスク承知の上で開催すると、なんと800人以上もの人が参加。首都圏からも多くの人が来てくれました。みなさんからの『頑張ってください!』『応援していますよ!』という温かい言葉がうれしくて、うれしくて。涙があふれてきました」 このイベントから活動が広がり、翌年にはプロチームの「那須ブラーゼン」が誕生。2014年には、所属選手が全日本チャンピオンとなった。「那須ブラーゼン」は観光客や子ども向けのイベントも開催し、町を盛り上げている。また、ブラーゼンがモデルの地域密着のテレビドラマが全国放送されるなど全国にもその輪が広がっている。 これからも、新たなスペクタクルを ラジオ番組をはじめたころから、鈴木さんは「スペクタクル鈴木」というサブネームを使い始めた。アートイベントの名前にも使われた“スペクタクル”という言葉には、人と人との交流を通し、場に大きな化学変化が起きることで、そこに感動が生まれる、「まさに奇跡的な瞬間」という意味が込められている。 「自分の言葉で積極的に発信しはじめてから、活動に興味を持ってくれる人、応援してくれる人のつながりがどんどん広がり、奇跡のような出来事がたくさん起こりました。栃木県内には、地域の魅力をいかし自分たちで楽しみながら、スペクタクルを起こしている人がたくさんいます。そんな奇跡的な瞬間を目にした若い人たちが、さらに自分の街で新たな取り組みを始めようとしています。これからも、他地域の魅力的な人たちと連携しながら、自転車ロードレースの国際イベントや那須を舞台にした映画など、新たなスペクタクルを巻き起こしていきたいですね」
最大100万円+αの移住支援金をはじめ、さまざまな支援制度・補助金をご用意しています。
スムーズにとちぎ暮らしをスタートできるよう、また、移住後に後悔しないよう、
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